
*本文章には、読み手によっては個人的なトラウマを想起させる内容が含まれている可能性があります。読んでいてつらくなった場合は、ご自身の心身のコンディションを優先し、無理のないよう読み進めてください。よろしくお願いいたします。
2025.05.22一部修正・追記
はじめに
こんにちは。カウンセラーの池内秀行です。
カウンセリングには、職場の上司や経営者からやりたくない仕事を指示されたり、勤務態度について注意されたりすることに納得がいかないのでなんとかしたいという相談で来られる方もいらっしゃいます。
こうした方々は、お話していくと、自分の思いや考えを伝えても理解してもらえない、思うように話が通じないという体験をしている中で、自分が自覚しているよりずっと前から「自分だけが他の人と違う扱いを受けているのでは」といったフラストレーションや葛藤を感じていることに気づいていく人たちがいらっしゃいます。
また、こうした相談では、「自分はパワハラを受けているのではないか」と感じている人たちもいらっしゃり、実際にパワハラに該当するかどうかを確かめたいという思いから、カウンセリングを受ける方も少なくありません。
一方で、管理職や経営者の立場にある方からは、「部下から強い態度で迫られたり、一方的に不満をぶつけられることがあり、毅然とした対応をとると、かえってパワハラと受け取られてしまうのでは」と不安を感じ、話が通じないという体験をしている部下と、どのように関わればよいか悩んで相談に来られる方もいらっしゃいます。
「話が通じない」の背景にあるもの
こうした、さまざまな立場からの相談の中で、近年、相手との意思疎通がうまくいかない原因について、「もしかすると自分、相手、あるいは双方に発達特性があるのではないか」と感じる方が増えている印象を受けます。
確かに、詳しくお話をうかがっていくと、発達障害などの特性が関係している可能性を否定できないケースもあります。
しかし、これらの特性については、医療や心理の専門家による慎重な評価が必要なことなので、安易な判断やラベリングは避けることが必要です。
実際には、詳しく状況や関係性をうかがっていくと、本人、相手、あるいは双方が「自分の役割や権限、状況における関係性とその立場」について十分に理解していなかったり、誤解が生じてもしかたがない状況や環境に置かれていることで、「決定権」に関する認識のずれが生じていて、それが「話が通じない」と感じる原因となっている場合も少なくありません。
本記事では、こうしたコミュニケーションのすれ違いや行き違いが生じて話が通じなくなる背景について、カウンセラーとしての立場から、「決定権に関する誤解」という視点を軸に、その背景にあって影響を与えうる要因と対処法をお伝えしたいと思います。
「決定権の誤解」とは何か
「決定権の誤解」とは、本来決定権がないのに「自分にある」と思い込んでいる、あるいは反対に、決定権があるにもかかわらず「自分にはない」と思い込んでしまい、意思決定ができない、または意思決定を避けてしまう状態のことです。
「自分に決定権がある」と思い込んでいるケース
仕事上、本来は上司や組織に最終的な決定権があるにもかかわらず、「自分の仕事のことは全て自分に決定権がある」と誤解してしまっているケースです。
たとえば、
- 仕事の割り振りや勤務態様について、本人にある程度の裁量は認められているものの、最終決定権は上司にあるにもかかわらず、自分が全て自由に決められると誤解していて、その誤解を周囲も本人も気づいていなくて、指示や注意に対して「自分の自由だ」と反発してしまう。
- 上司の役割や権限に対する理解が不十分で、自分の裁量で行動できる範囲を越えているにもかかわらず、正当で適切な指示に対して「干渉された」と受け取ってしまう。
※もちろん、明確なパワハラや不当な指導がある場合は別の問題です。ただし、こうした「決定権に関する誤解」が背景にあることで、実際にはパワハラに該当しない事案でも、パワハラと受け取られ、関係がこじれてしまうケースも少なくありません。
「自分に決定権がない」と思い込んでいるケース
一方で、管理職や経営者であっても、また部下自身も、本来は自分に決定権があるにもかかわらず、「自分には権限がないから決められない」と誤解してしまうケースもあります。
特に、人間関係を大切にしたい、相手の立場や主体性を尊重して共感的に関わることが大切と考えている方が、こうした誤解に陥りやすい傾向があります。
たとえば、
- 部下に任せた仕事の進捗が思わしくないときに、部下から相談を受けても、「任せているのだから、自分で判断して進めて」と上司が方向性を決める権限があるにもかかわらず、「部下に任せているので自分が決めることではない」と思い、自分は判断せず、本人に判断させていくことで、信頼関係が損なわれていく。
- 部下がコンプライアンスに反するかどうか具体的な検討が必要な取引や行動をしていることをみつけ、確認すると「違反ではない」と主張され、自分はリスクがあると認識しているのに、会社の利益や成果が期待できることにブレーキをかけると部下のやる気を削いだりチャンスを奪うことになるので止めたり是正することは出来ないと思い違いをして、部下の取引や行為を見逃してしまう。
- 成果を出している優秀な部下に対して、「自分より知識や能力があるから、知らないことは部下に任せる」と考え、部下に判断を委ね続けた結果、事後報告が増え、事前の報告や相談がなく業務が行われるようになり、気づけば重要なことでも、自分抜きでその部下が判断し進める状況が出来上がってしまっていた。
このように、「決定権に関する誤解」は、役割や立場にかかわらず、さまざまな問題が生じる要因となり得ます。
決定権の誤解がもたらす職場のトラブル
決定権についての誤解があると、職場では次のような問題が発生しやすくなります。
- 指示や指導、教育のつもりが「放置」や「丸投げ」と受け取られてしまう
- 本来は適切な指導であるにもかかわらず、パワハラと受け止められてしまう
- お互いにフラストレーションが溜まり、人間関係が悪化していく
これらの問題は、決定権に関する誤解が原因で起きているにもかかわらず、業務が順調に進んでいる間は表面化しにくく、たとえ兆候があっても、見過ごされがちです。
その理由としては、こうした問題は、一見すると個人の能力や性格、お互いの相性によるコミュニケーションの問題に見えることが多いからです。
ゆえに、実際には「立場や役割・権限についての認識と理解のズレ」が問題の本質であることに気づきにくい、という現実があります。
特に経営者や管理職の方は、「人に仕事を任せるのが得意だ」「マネジメントには自信がある」「チームをうまく動かしている」「自分は人を使うのがうまい」といった自負を持っていることも多く、そのような自己認識があると、自分の中にある決定権に関する誤解に気づきにくくなる傾向があります。
たとえば、部下に業務を一任することが「すべての決定権も委ねること」だと誤解していると、トラブルが起きた際に、その原因をすべて部下個人の責任とみなしてしまいがちです。
もちろん、そのように感じる気持ちは想像できますが、業務を任せることと、最終的にある自分の責任や権限を棚上げにすることは別問題です。
経営者や管理職としての立場上、最終的な判断や責任は手放すことができませんし、それは組織的にも認められないものです。
部下がこのことを理解している場合でも、自分の責任だけが問われたと感じれば、「責任だけを押し付けられている」と感じ、上司への信頼が損なわれてしまいます。
一方、部下の側が「すべての権限が自分に委譲されている=すべての責任は自分だけにある」と誤解していると、その強い責任感から上司によるマネジメントを「干渉されている」「信頼されていない」と受け取ることがあり、それが関係が悪化していく要因になり得ます。
いずれのケースでも、「部下に個人的な問題がある」という前提で状況を捉え続けてしまうと、経営者や管理職は次第に「自分が被害者だ」と感じるようになり、マネジメント本来の視点や役割から遠ざかっていき、部下の処遇をどうするかという方向に向かっていくことも少なくありません。
このように、決定権に関する誤解は、個人の能力や性格、お互いの相性によるコミュニケーションの問題と思われている背後に潜んでいることが多く、管理職や経営者自身の気づきと対応が、問題解決と関係修復の鍵となります。
「決定権の誤解」が生まれる背景にあるもの
部下・管理職・経営者といった立場にかかわらず、仕事上の「決定権」に関する誤解が生まれる背景には、いくつか共通した要因があります。
大人の関係において、無自覚のうちにうまくいかない行動パターンを続けてしまっていることがある。
たとえば、子どもの頃に、自分の希望を通すために泣いたり強い感情を表現することで、大人が折れてくれたり対応してくれたりした経験を繰り返すうちに、そのやり方を成功させる行動パターンとして身につけてしまうことがあります。
このような行動パターンは、社会に出てからも無自覚に続くことがあり、本人にとっては「いつも通りのやり方」であっても、周囲からは「話が通じない」「協働しにくい」と受け取られてしまう場合があります。
また、家庭環境が比較的自由で、親の許可を得ずとも自分の判断で行動できた経験が多い場合には、「まず行動し、あとから報告して許してもらう」といった、相手の善意や力量に頼る、なし崩し的な行動パターンが身についてしまうことがあります。
このような行動パターンが大人になっても続くと、自分本位の感情や判断で物事を進めてしまい、周囲は状況に対処せざるを得なくなり、否応なく巻き込まれる場面が増えていきます。
それによって、意思疎通や合意形成が難しくなり、周囲との関係に摩擦が生じることも増えていきます。
特に、決定権を誤解している側の人が、能力が高く行動力があるほど、自分のやり方で成果を出そうとするあまり、人間関係の構築に困難を感じたり、孤独感を抱きやすくなることがあります。
さらに、決定権を誤解している側の人が、経営者や管理職といったマネジメントを行う立場にある場合には、自分の意図通りに周囲が動かないことに対して、強いストレスを感じやすくなる傾向も見られます(必ずしも全員に当てはまるわけではありません)。
いずれにしても、決定権を誤解している側の人に、「自分が正しいのになぜ伝わらないのか」という思いが募っていくことは少なくありません。
こうした傾向を持つ方が、決定権の誤解に気づき、他者の判断に耳を傾けたり、その判断に従う経験を重ねていくことによって、その体験が自分にとっての支えや学びとなり、より良い協働関係を築く力が育まれていきます。
良いロールモデルと出会う機会がなかった
また、決定権の誤解をしている人には、「決定権を持つ立場の人が、自ら判断し、その決定が周囲に良い影響を与え、その責任を果たしていく」、そのプロセスを、実際の人間関係の中で見聞きしたり、体験したりする機会がなかったという可能性もあります。
「適切な意思決定とはどのようなもので、それがどのように人に影響を与えるか」といったことを、実感として学べるような「良いロールモデル」と出会ったことがない可能性も十分にあります。
責任転嫁の家庭環境と、生きづらさの背景
子ども時代に、本来は親が判断し責任を取るべき事柄(家庭内の決定、親族関係、外部とのやりとりなど)について、親の都合で子どもに任せてしまい、その決定を委ね、さらに良い結果は親が享受し、マイナスの結果は子どもに責任を負わせる、いわゆる「責任転嫁」や「ネグレクト」が常態化している家庭で育った場合、子どもはその役割を「親ではなく自分が担うべきもの」として、当たり前のように引き受けるようになる場合があります(必ずしも全員に当てはまるわけではありません)。
こうした環境に慣れたまま成長すると、大人になっても親との関係性が変わらない限り、同じパターンが続くことがあります(必ずしも全員に当てはまるわけではありません)。
(*注意:古くは自己啓発などで、親との関係を癒して改善していくと仕事で成功すると言われてきましたが、親との関係を直接改善しなくても、親との関係で身につけたパターンを変えていくことはできます)
このような背景を持つ人は、「誰かに決定を委ねて安心して頼る」という経験が乏しく、代わりに「自分で決めて、自分で守る」ことが日常的な行動パターンになっている場合があり、成長とともに「すべて自分で決め、自分で責任を取るべきだ」という信念が強化され、それが次第にアイデンティティの一部として根づいていくこともあります(必ずしも全員に当てはまるわけではありません)。
また、親の責任と自分の責任の区別が曖昧なまま成長した場合、「親の責任=自分の責任」という認識が定着し、過剰な責任感が育まれていく場合もあります。
その影響は、他者との関係にも広がり、「相手の問題も自分の責任」と捉えるようになるなど、あらゆる場面で過剰に責任を背負うようになる場合があり、自分だけでなく、大切な人の問題にまで責任を感じ、強い責任感や自責の念に苦しむようになる場合があります(必ずしも全員に当てはまるわけではありません)。
こうした傾向が強くなってくると、「誰かの役に立たなければ価値がない」「期待に応えなければ見捨てられる」といった思いを強く感じるようになっていき、それが日常生活における生きづらさになっていきます。
周囲からは、責任感があり誠実な「頼れる存在」として高く評価される一方で、リーダーシップが求められる場面では、「すべて自分でやらなければならない」という考えが強くはたらき、仕事を抱え込みすぎたり、相談や協力を避けてしまったりすることがあります。
本人にとってはそれが「当然の行動」でも、周囲との連携が失われることで孤立しやすくなり、「自分はみんなを支えているのに、なぜ誰も自分を支えてくれないのか」と感じるようになっていきます(必ずしも全員に当てはまるわけではありません)。
このような被害感覚が強まると、誰しもそうなる可能性があるように、内面的な苦しみが増し、結果として職場や対人関係でのトラブルが生じやすくなってしまうこともあります。
幼少期に「自分のニーズが後回しにされた」逆境的環境で育ったことの影響
幼少期に、家庭内暴力(DV)や心理的虐待などの逆境的環境で育ち、常に大人のニーズや権利が優先され、自分のニーズや権利は後回しで尊重してもらえる経験がほとんどないまま成長した場合、子どもは「自分のニーズは他人から尊重されないものだ」「自分には権利がない」「自分の要求は後回しにされるのが当然だ」と思うようになっていきます(必ずしも全員に当てはまるわけではありません)。
このような体験を重ねると、次のように思うようになっていく傾向があります。
- 自分のニーズは、「相手に従い、相手のニーズに応えた時、相手の気分次第で満たされる」
- 自分の権利も、同じく、「相手に従い、相手のニーズに応えた時、相手の気分次第で認められるもの」
そして、成長するにしたがって、「自分の欲求は自分で満たすしかない」「他者に期待しても無駄だ」と強く思うようになっていく傾向があり、それは対人関係のパターンにも影響を及ぼすようになっていきます。
大人になり、社会的に成功したり、組織の中で影響力のあるポジションについた場合、このような背景を持つ人は、無自覚のうちに「自分が物事を決めるのが当然」「他者は自分に従うもの」という思考パターンに陥ることがあります(必ずしも全員に当てはまるわけではありません)。
このような関わり方は、本人にとっては「相手のためを思って行動している」「配慮している」という善意に基づいている場合が多くありますが、実際には相手に決定権を与えない、または一方的にコントロールするような関係性となり、実際、モラハラやパワハラになっていることがあります。
しかし、本人は「自分は相手を思いやっているのに、ハラスメントと言われ、批判されるのはおかしい」と混乱し、強いショックを受けることもあります。
そして、「自分がハラスメントをしている」という自覚がもてないと、むしろ「自分の方がハラスメントの被害者だ」と感じ、防衛的な態度を取ってしまうことさえあります。
このようなすれ違いの背景には、そもそも「他者と尊重し合う関係性とは何か」「どうすれば相手の権利や尊厳を守りつつ自分の意見を伝えられるのか」といった健全な人間関係のモデルを、子ども時代に十分に体験する機会がなかったことが関係していることがよくあります。
良いロールモデルに恵まれなかったり、相互尊重を実感として学ぶ体験が十分に得られなかった場合には、他者との適切な距離感や関わり方を身につける機会が少なかったことが想像されます。
その一方で、逆に「自分には決定権がない」と感じ、権威のある存在や支配的な相手に対して、自動的に服従してしまう関係性を築く場合もあります。
このように、幼少期に自分のニーズや権利を尊重してもらえない環境、無いかのように扱われる環境で育った場合、大人になってから、自覚なく対人関係において極端な関わり方が現れることがあります。
支配的あるいは服従的な態度として表れるこれらの傾向は、「迎合反応」や「凍りつき反応」というトラウマ反応の一種で、本来、防衛しなくてよい場面で自覚なくあらわれてくることがあります。
それが仕事上の関係で現れてくると、「決定権」に関する誤解が生じる要因となり、本人は望んでいないのに、職場や人間関係の中でトラブルになってしまうことがあります。
法的権利の誤解
「決定権」に関する誤解があると、それに関連して「法的権利」についても誤った認識が生じ、時として深刻なトラブルに発展することがあります。
私のカウンセリングで見られる問題のなかにも、法的権利に関する誤解から生じるものがあります。
なかでもよくあるのが、次の2つのパターンです。
1.他者の法的権利を自分の権利と誤認するケース
本来は他者に属する法的権利を、まるで自分が持っている権利と誤解していて、その権利を相手の同意なく自分の判断だけで行使できると確信をもってしまっていることがあります。
このような誤解を持つ相手に対して、自分の正当な権利を主張したり、「同意なく決定しないでほしい」と伝えると、よくある反応として「あなたのためになると思ったから」と返されることがあります。
このような場合、誤解している側が自らの誤解に気づかない限り、是正や謝罪などの対応はなされず、むしろ「善意」として叱咤激励してきたり、話をすり替えて自分の主張を押し通そうとするなど、話がすれ違い、平行線をたどる事態に陥りがちです。
特に、誤解している側が「自分は正しい」「自分は間違えていない」と強く信じているほど、法的権利は棚上げにされ、周囲からも誤解している側の言動が正当であるかのように映り、正当な権利を主張する側が心理的にも圧倒されていきます。
それが続くと、いつしか「自分のほうが間違っているのでは」と混乱に陥り、感じる必要のない罪悪感を抱くようになり(植え付けられた罪悪感)、最終的に相手の要求に従ってしまうことも少なくありません。
そして、時間が経ち冷静さを取り戻したときに、自分の正当な権利を守れなかったこと、相手の意向に従ってしまったこと、相手の要求に応じてしまったことを後悔することも少なくありません。
この体験が、トラウマ体験になることもあります。
2.感謝や称賛を通じて心理的に要求を通そうとする相手にNOを言えないケース
もう一つは、法的権利を持つ本人に対し、相手がその権利を自分の都合がいいように使いたい時におこる問題です。
相手が本人に対して、本題ではなく、過度で不自然な感謝や称賛を繰り返すことで、本人の善意や良心に訴えかけ、相手は下手に出ることで信用してもらおうと頑張ります。
そのうち、本人は、「大丈夫だろうと」と思うようになり、具体的な条件や決め事をしないまま許可したり同意します。
その後は、相手は、本人の意向を全く汲み取ろうとせず、全て自分に権利があるという態度をとるようになります。
実際、相手は、本人の許可や同意を得たら、全て自分の権利になると誤解していることが多く、本人が正当な権利を行使しようとすると、強固な態度で拒否したり、本人が勘違いしていると確信に満ちた臨場感で周囲に相談して、周囲も相手側に立つ人が増えていきます。
こうして外堀を埋められていくと、本人の判断力は揺さぶられ、そのうち仕方がないと諦めてしまうことが少なくありません。
そして、その後、時間の経過とともに、自分の法的権利を相手が自分の権利のように行使して過ごしているのをみて、後悔することも少なくありません。そして、これもトラウマ体験になることがあります。
対応と対策
何か違和感や不自然さを感じたら、費用面が気になったとしても、自分の大切な権利を守るために、弁護士に相談し法的視点で整理してもらい対処していくことが大切です。
しかし、最初は法的問題とは気づけないことも多々あります。
そんな時は、カウンセラーに人間関係の問題として相談すると、ある程度しっかりした法的知識とリーガルマインドをもったカウンセラーなら、法的問題があることを教えてくれると思います。その時点で、弁護士にも相談して対処していくことが大切です。
法的権利の誤解が生まれる背景とその解消
法的権利に関する誤解が生じる背景には、主に次の2つの要因があります。
法的知識や理解の不足
法的な知識が乏しいと、自分の法的権利を自覚できないことや、他者の権利を誤って自分の権利と誤解してしまうことがあります。
このような場合には、法律を勉強したり、弁護士などの専門家に相談するなど、信頼できる情報源から学ぶことで、誤解を解き、適切に対処することができるようになっていきます。
子ども時代の体験に基づく対人関係のパターン
幼少期の家庭環境や人間関係の影響で、健全な意思決定の在り方や責任の持ち方を体験的に学ぶ機会が少なく、それが法的権利を誤解する要因になっていることがあります(必ずしも全員に当てはまるわけではありません)。
たとえば、家庭内で本来大人が担うべき役割を引き受けざるをえず育った場合、自分の権利や他者の権利の境界が曖昧になることがあります。
こうした背景を持つ場合、自覚して対処できれば問題ありませんが、誤解に気づいても、それを受け入れることが感情的に難しかったり、過去の体験がよみがえって心が不安定になり頑なになることがあります。
そのようなときは、心理的サポートを含む専門家の支援を受けながら、丁寧に対応していくことが大切です。
決定権に関する誤解、2つの解消法
最初に大切なことがあります。
それは、決定権の誤解があっても、それにより生み出されている成果や功績は肯定され、報われる必要があることです。
その上で、調整していくプロセスを踏んでいくことで、新たな価値を生み出していくことができるようになっていきます。
1.関係性を再構築していく
人間関係において、たとえ一見健全に見える関係であっても、その背後に「上か下か」「強者か弱者か」といった固定的な価値観が存在していると、意思決定の場面で誤解が生じやすくなります。
これは、立場や力関係に基づく思い込みが、人それぞれの判断や行動に影響を与えるためです。
たとえば、「立場が上の人が全ての決定権を持つ」といった思い込みによって、本来自分にあるべき決定権を自覚することができず、相手の判断に従ってしまいます。
または、自分に決定権があるにもかかわらず、「相手に全て従わなければならない」と誤解して判断を避ける結果、相手に振り回されていることもあります。
このような決定権の誤解によって生まれる葛藤は、しばしば強い怒りやフラストレーションを伴い、深刻なストレスの要因となります。
たとえ表面的に物事がうまく進んでいるように見えても、決定権の誤解があると、内面では違和感やモヤモヤが残り、それが「生きづらさ」の要因となることも少なくありません。
決定権の誤解に気づく
この問題を根本から解決するためには、まず「決定権の誤解」が存在していることに気づくことが必要です。
そして次に、お互いの立場や役割を現実に即して明確に再定義し、その再定義に基づいて新たな関係性を築いていくことが求められます。
この再構築のプロセスにおいて重要なのは、双方が自分自身の受け止め方や物事への姿勢、言動を見直し、柔軟に変えていくことです。
自分が何をどう誤解していたのか、どのような視点で相手を見ていたのかを振り返りながら、より対等で現実的な関係性を目指す必要があります。
「決定権の誤解」と「視点の違い」の区別
また、この過程で特に大切なのは、「視点の違い」を「決定権の誤解」と混同しないことです。
仕事や役割に関する視点の違いは、個々の経験や専門性、価値観に基づくものであり、それ自体は主体性から生まれる自然な相違です。
したがって、こうした視点の違いは無理に一致させようとするのではなく、健全な話し合いや建設的な対話を通じて理解し合うことが大切です。
自分に新しい体験をさせてあげる
さらに、関係性の再構築と並行して、自分自身が新しい体験を重ねていくことも重要です。
新たな経験の中で得られる気づきや学びを自分の中に取り入れることによって、内面的な変化が促されます。
その積み重ねによって、これまで感じていた葛藤や生きづらさが次第に緩和されたり、解消されたりする可能性が高まります。
つまり、人間関係の中で起こる「決定権の誤解」を見直し、お互いの立場を再確認し、視点の違いを尊重しながら、新しい体験を通じて内面を変えていくことが、より健全で持続可能な関係性を築くための鍵となるのです。
リーガルマインドを身につける
そして、法的な権利の誤解は、日常的な人間関係にも大きな影響を及ぼす可能性があります。
自分や他人の権利を正しく理解し、誤解があった場合でも感情的に巻き込まれずに対処できるようになるには、法的知識だけではなく、リーガルマインドを身につけていくことが役立ちます。
そして、必要な協力を求めたり、支援を得る姿勢を持ち続けることが、より健全で対等な関係性を築いていく鍵となります。
*リーガルマインドとは法的思考のことです。具体的には「この決まりは、何にためにあるのか?この決まりは誰のどんな権利に基づいた利益を保護しようとしていて、決まりに反すると、誰のどんな権利や利益が害されるのか?」ということを決まりに基づいて論理的に考えることです」
2、関係性を見直し、再構築していくための「カウンセリング」という選択肢
「決定権の誤解」は、日常の人間関係の中で自覚なく生じることが多く、気づかないうちに感情や行動に大きな影響を与えています。
それに気づかず、はっきりしなけど違和感や葛藤を感じながらも、「自分が我慢すれば」と物事を遂行していくことを優先している方も少なくありません。
しかし、心の中には「もう限界かもしれない」「この苦しみから抜け出したい」といった声があるのではないでしょうか。
そんな時は、カウンセリングという専門的なサポートを選択肢に加えてみてください。
違和感やモヤモヤしていることを言葉にすることから始めることで、問題の本質が見えてくることがあります。
【最後に】
「決定権に関する誤解」は、特別な状況ではなく、多くの人が日常的に抱える課題です。
カウンセリングでは、その状況を客観的に整理し、見通しを立てることで、ストレスや問題の状況への対処方法がみえてきます。
私が伝えたいのは、カウンセリングは「変わらなければならない場所」ではないということです。
むしろ、今の自分のまま、安心して立ち止まり、自分の気持ちを丁寧に見つめ直すことで方向性を見出していく場所です。
どうか一人で抱え込まず、まずは「今、自分がどう感じているのか」に目を向けることから始めてみてください。
それが、関係性を見直し、問題から抜け出し、自分らしさを取り戻す第一歩になるはずです。
文責 プロカウンセラー池内秀行
Wrote this article この記事を書いた人
プロカウンセラー池内秀行
1968年2月生。2001年2月カウンセラーとして個人開業。個人カウンセリング、カップルカウンセリング、ファミリーセラピー、トラウマセラピー、キャリアカウンセリングなど総合的なカウンセリングに加えて、経営者向け、管理職向けのカウンセリング、組織開発プロセスコンサルティング、各種研修を提供しています。取得資格は公認心理師・産業カウンセラー・キャリアコンサルタント・(特非)日本成人病予防協会認定「健康管理士一般指導員」・文部科学省後援「健康管理能力検定1級」。